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☆★☆ コズミック・ディスクロージャー ★一なるものの法則 1〜5★ ☆。・:*:・゚`★

March 23, 2018

【 一なるものの法則その1 】

この本は、地球外生命体とのコミュニケーションを目的として実施された実験における、26回に及ぶセッションを録音したものから正確に転記したものである。

我々は1962年より実験を開始し、19年間そのプロセスを改善して来た。
1981年になって、我々の努力が実を結び、実験結果が、質においても正確さにおいても顕著に改善された。

この本は、我々のこの後者のフェーズにおける最初期のセッションのレポートである。
実験が始まってからこの方、我々が公式に研究グループを組織する前段では、我々の実験には本質的な少なからぬ混乱が存在した。

私は、私が努めて純粋に科学的な観点に基づいて実験に携わろうとしていたことを告白しておきたい。
この案件の多くの読者は、私が言うところの科学的な客観性から神学的な主観性までの広きにわたる哲学的なバイアスが前提として存在しているという評価の元でこの本に向き合おうとしていた。

我々の研究目的は、実験データを利用可能なものにする以外の何物でもない。
読者諸賢は、この実験データが意味することについて、疑いようもなく独自の見解に至ることであろう。

近年においては、用いられた科学的研究手法とは明らかに矛盾する数々の現象について、多くの論争が生じた。
これには、UFO、念力によるスプーン曲げ、心霊手術、そして、これ以外の多くの奇跡とも見える出来事のようなものが含まれる。

申し立てられたこれらの現象に関する証明や反証は、傍目で見ている限りは明らかに適切ではない。
とはいえ、世論のほとんどは、これらの出来事は拙速、かつ表層的な調査の産物であろうという慎重な見解を生み出すに至っている。

所謂(いわゆる)超常現象という領域における、ほぼ三十年に及ぶ研究と実験を経て結論に至るまでには、慎重には慎重を重ねて注意深くあるべきだとアドバイスしておきたい。
金儲けに繋がるのであれば、悪評を立てられるのであれば、人をかつぐ楽しさを味わえるのであれば、誰かがこれを行うのが常なのである。

その結果として、超常的、或いはサイキックな領域は、詐欺師の真っ先のターゲットとなる為、注意深い研究者達は、そこに隠された真実の宝石を見出す為に、夥(おびただ)しい数の”がらくた”のデータを調査しなければならないのが常なのである。
このことが特に、フィリピンでの心霊手術や大部分の霊界通信において、一般的に言えるのである。

私から見れば、現在までに受け入れられている科学的枠組みは適切とは言い難い。
私見を述べさせてもらうならば、我々の今日の自然哲学は、未だにヴェールに包まれているという点で、多くの一般的なケースの中での極めて特殊なケースである。

我々の研究が、このヴェールを取り払う方向へ進むことを希望する次第である。
地球外生命体とのコミュニケーションが紡(つむ)ぎ出した数百万語の言葉を前にして、ラー関連のこの本と後々に出版されるであろう続編が、私がかつて発見した最も有用な情報を含むものであると、私の意見を述べておきたい。

混乱を生じているUFO学や超常心理学の問題に関して探求を重ねた結果として、私はどのように物事が”真実である”かの現在の意見を形成するに至ったのである。
私の意見は、私が新たな情報に気づいた時には変わることが有り得よう。

この本は、私の見解を論文化することを意図するものではない。
それ故に、私はその価値を守ろうとは思わない。

以下の語句が、我々がなしていることに関して、我々が考えていることへ成し得る私の推測である。
時が、この推測の正しさを証明してくれるだろう。

我々の研究グループは、私が”調整された昏睡時のテレパシー”と呼ぶ技術により、ラーと呼ばれる地球外生命体とコミュニケーションを交わした。
我々はラーが英語を解したので、これを言語として用いた。
実際のところ、ラーは我々よりもずっと英語を解した。

ラーは地球外生命体の特使として、およそ一万一千年前に地球へ降り立った。
その目的は、地球人の精神的進化を援助することであった。

この試みは失敗に終わり、ラーは地球より帰還した。
しかし、この惑星の間近で地球人の監視を続けた。
この為にラーは、我々の歴史や言語に精通しているのである。

ラーについて理解することが最も難しいことは、恐らくその性質である。
ラーは、第六密度の社会記憶複合体なのである。

地球は第三密度の進化のサイクルの終盤に差し掛かっており、このことはラーが進化のサイクルにおいて、我々の三段階先んじていることを意味している。
言葉を変えれば、ラーは地球人より、数百万年は進化で先んじた状態にあることを示している。

このことから、一万一千年前においてラーが地球人とのコミュニケーションに困難を感じたのは、驚くに値しない。
同様の問題が、我々の現代の”悟り”の時代においても存在しているのである。

この記述作業において、我々はラーとの実験的コミュニケーションとしての、百を超えるセッションを終えた。
このおよそ三十万語に及ぶ情報は、恐らく、私により適切な科学的枠組みを示してくれた。

このセッションがもたらしたものは、長きに亘(わた)る時間の経過を経て初めて、我々にその価値を認めさせ、我々の科学的枠組みの拡張を保証することになろう。

【 一なるものの法則その2 】

UFO学は、大きな主題である。
手頃な分量の背景説明の為の資料が、この本の序論を豊かなものにすることだろう。

それ故、この序論の残りの部分において、本研究の広範囲にわたる発展しつつある分野の全てについて触れるつもりはない。
しかし、その代わり、本研究の始まりから現在まで、及びラーとのコンタクトに関して触れておくのが適切と思われる部分については、説明しておきたい。
我々の研究の経緯については、私の長きに亘(わた)る研究の同僚である、カ-ラ・L・ルッカ―トに説明をお願いしたい。

◎ カーラ・L・ルッカート

私が最初にドン・エルキンスに会ったのは、1962年のことでした。
私にとって、彼は魅力的で、大学教授でありながら心霊研究家であるという、大変珍しい経歴の持ち主でした。

彼は、200例以上の年齢退行催眠を実施していました。
彼は、誕生前の経験を探ろうとしたのです。

彼は、転生の可能性について調査したのです。
可能かどうかではなく、それが実際に起こる有様を調査したのです。

1962年に私は、ドンが立案したある実験に参加しました。
その実験は、彼がフォード自動車のエンジニアであった、ハロルド・プライスの援助の下(もと)で発展させた仮説を検証させる為にスタートさせたものでした。

プライスは、ドンがとても興味を持ったいくつかの情報を、ドンにもたらしました。
その情報は、地球外生命体からのものだと伝えられていました。

その内容は主として形而上学的で、ドンがその時点で学んでいた全てのことに合致するものでした。
この資料の中には、地球外生命体との実際の物理的なコンタクトなしに、同じ源泉からさらなる原料を創り出す方法を考案する為の指示が示されていました。

ドンの仮説は、この現象は再現できるかも知れないというものでした。
そこで、彼は自分の受け持ちの工学部の学生達を招いて、デトロイトのグループと同じような源泉と、ある種のテレパシーでコンタクトすることを目的とした実験に参加させました。

私は、13番目のメンバーでした。
私は友達を通じて、このプロジェクトのことを聞いて興味を持つようになっていたのです。

コンタクトを試みた最初の頃は、ドンはしきりに状況をコントロールし続けようとしていて、数ヶ月を経過して、驚くべき、しかしながら、困惑をもたらす結果となりました。
指示に従って“瞑想している”状態で座っていると、私以外のグループのメンバー全員が、口で奇妙なノイズをたて始めました。

私はというと、最初の6ヶ月間は真面目な顔をし続けて笑うこともありませんでしたが、このセッションは少しずつ、喉(のど)の吸気音や咀嚼(そしゃく)音や舌の動作音の騒々しいシンフォニーとなっていったのです。

実験の様相は、このグループがデトロイトからのコンタクティーの訪問を受けてからは、劇的に変わりました。
コンタクティーは、このグループと一緒に座るとほぼ同時に、テレパシーで話しかける存在によって明らかにコンタクトされたのです。

その存在は、こう言いました。
「何故、貴方方は、自分の心に上った考えを話さないのだ? 我々は、貴方方をコミュニケーションの道具として用いようと試みている。しかし、貴方方は恐れの故に、それを全てブロックしてしまうので、貴方方は適切な言葉を話すことができないのだ。」

このミシガン州デトロイトのウォルター・ロジャースという道具を通じて、このグループは、コミュニケーションが終わるまでは、話した考えやコミュニケーションについて分析することを禁じられました。

その夜から、グループのメンバーの半数が情報を受け取って語り始めるまでに、一月もかかりませんでした。
その時から一年が経過し、私以外の全てのメンバーがメッセージを受け取ることができるようになりました。

最初は、話すのはゆっくりで困難を伴いました。
何故なら、メンバー各々が、一つ一つの言葉それぞれの印象を正確に把握することを望んでいたからです。

私の場合は、メッセージを誤って受け取る恐れを、完全にコントロールしようと望んでいました。
それにも拘(かか)わらず、この奇妙な実験を始めた最初の学生グループにとっては、エキサイティングな時間でした。

1970年の1月には、私は自分が、13人の生徒からなるルイスビルにある私立学校の学校司書のような立場にあると感じました。
それで、ドンの為にフルタイムで働く為にそこに通ったのです。

この時までに、彼はこの存在の大いなる秘密を調査することが最善であると確信していました。
またそれは、地球外の知的生命体とコンタクトするテクニックを研究することによって可能になると確信していました。
それで、彼のこの領域での努力が強化されていったのです。

この期間を通じて、ドンは多くのUFO研究の周辺領域で仕事をしました。
いつも、パズルのピースを完成させようと努力していたのです。

私達にとっての最も巨大なパズルのピースの一つが、UFOがどのように物質化し非物質化するかということでした。
この現象は私達がまだ把握していない、そして、まだ使うことができない未知の物理学に基づくものだと仮定されるものでした。

ドンは、私が彼の研究に参加する以前には、一人で多くの降霊会に通っていました。
そして、彼のリストの名前を系統立てて×印をつけて消していきました。

彼は紛れもない、彼自身が信じるに足る物質化現象を探していたのです。
彼は、降霊会で実現する物質化現象は、恐らくUFOの物質化現象と同じか類似した性質を有していると感じていたのです。

それ故、彼の論法は、降霊会における物質化と非物質化のメカニズムを個人的に観察することが、UFOに関するより正確な仮説を可能にするという方向へ向かっていったのです。

【 一なるものの法則その3 】

1971年には、ドンとの物質化現象を行う霊媒を探す実りのない調査の後、私達はトレドのレベレンド・ジェイムズ・ティングレイによって催された降霊会に行きました。
彼は、スピリチュアルチャーチの牧師でした。

私達は、レベレンド・ティングレイのデモンストレーションを四回見に行きました。
最初の降霊会の前に、ドンは何気なくティングレイの質素な降霊会場の内部と外部を調査していたのです。

それは、コンクリートブロックでできていてガレージのようでした。
その建物の内部にも外部にも、気のきいたものは何もありませんでした。

ドンが、そのようなことをしていることは知りませんでした。
私は、デモンストレーションが始まるのをただ座って待っていました。

今、お話したことは、あらゆる種類のサイキックな研究を語る上で重要なのです。

ドンは、私が調査で騙され易いといつも言っていました。
私が直ぐに分からないものですから、ほとんどの人が私をからかうのです。

私は、彼らの言うことを額面通りに受け取ってしまうのです。
顔を見ると、もう受け入れてしまうのです。
そして、後で何が起こったのか分析しているのです。

この騙され易さは、超常現象の調査で良い成果を得る上で致命的なのです。
証明したいという願望は、必然的に成果なしと空しい実験へと向かわせることになるのです。

あまりにも素直だということは、騙され易いということであって、あまりにも主観的な確信を生むことになり、そのリアリティは、他人の思考の中に体系的に再生産され得ない故に、決して客観的な証明とはなり得ないのです。
しかしながら、この主観的な知識はスピリチュアルな進化の中核をなします。

それによってラーは、この書物の内容を、私達が今に至る長い年月をかけて行って来た研究によってもたらされた内容を、有無を言わせずに語りかけて来たのです。

降霊会が始まりました。
多くの降霊会でそうであったように、私は参加しました。
主の祈りの復唱と、”ちとせの岩よ”と、”我庭に歩み入りて”のような讃美歌を歌いながら。

会場の何もない部屋には、ざっと26人に人がいました。
皆、楕円形に並べた肘掛けのない椅子に座っていました。
レベレンド・ティングレイはシンプルなカーテンの後ろに退避していて、折りたたみ椅子に座っていました。

最初の降霊会の時には、最も私の印象に残ったのは、恐らく”シスター”として知られているやや物質化した霊の出現でした。
彼女は私と話したがり、ドンの仕事を助けていることに感謝していました。
それまで私には親しい友人がいなかったので、私はとても困惑しました。

その後、間もなくのことでした。
ドンが私達の家に飛び込んで来て、私の記憶を呼び起こしました。
そして、私はその”シスター”が、私が以前に会ったことのある、彼の亡くなったお母さんであることに気がついたのです。

その降霊会でも、後々の降霊会でも、ドンと私は呼ばれました。
私達は、非常にはっきりと物質化した霊の幽霊のような像を見ることができたのです。

私は暗視能力が損なわれていたので、はっきりとはその様子を把握することができませんでした。
しかし、ドンは、髪の毛一本一本の様子まで見ることができたのです。

二回目の降霊会では、特に印象に残ったのが”マスター”という霊が突然現れて、部屋がとても冷えたことでした。

彼は、私達に霊感に満ちたメッセージを伝えました。
彼は私達に、私達に触るので、自分が現実のものだと分かるだろうと言ったのです。

彼は、そうしました。
その力は、私の腕を傷つけるほどでした。
そして、彼は自分が私達を通り抜けるので、私達が自分が私達と同じ密度ではないことが分かるだろうと言ったのです。

このことを、彼は行いました。
確かに、興味深いセンセーショナルな出来事を目撃することになったのです。
腕を掲げて部屋にいる皆を祝福すると、彼は私達を通り抜けて床の中に沈み込み、行ってしまったのです。

1974年にドンは、チャネリングの分野において、私がもっと厳格な研究生になる時だと決意したのです。
彼は、霊感に満ちたメッセージを座って聞いていた12年間は、もうこれで十分だと主張しました。
そして、私が、ブラッド・スタイガーが”宇宙の女説教者”と呼んでいた存在としての責任を果たすべき時が来たと、主張したのです。

それは私にとっても、喜ばしい話でした。
私達は集中的に私のメンタルを調整するように作用するようにデザインされた、一連の日常的な会合を始めました。

日曜日の夜に催された私達の瞑想会には、毎日の会合について噂を聞きつけた多くの人々が来ました。
そして、三か月のうちに、私達は12人の新しいテレパシーの受信者を得たのです。

これらの集中的な瞑想のプロセスの期間中、私達はこれから長期間継続することになる、セッションを開始する時はいつもテープレコーダーで録音するという習慣を開始しました。
私達のグループが収集したこれらの膨大な情報源のいくらかを用いて、私は未出版の書き起こし原稿にそれを書き留めました。
神の声は、私達のグループの会合で録音された時、私達に体系的な地球外生命体の観点をもたらしたのです。

1976年には、ドンと私がUFOの秘密を書き始めた時(内部向けに出版されており、手紙での申し出により提供可能)、この未出版の書き起こし原稿は大いに助けとなったのです。
この時期、もう一つの出来事が、まるで同期するかのように起こったのです。

ドンと私は、公式には1970年にL/Lリサーチとしてパートナーシップを組んで出版したのですが、1968年にはエスメラルダスウィートウォーターの苦難と題する未出版の本を書き上げていたのです。

【 一なるものの法則その4 】

1974年に、アンドリア・プハリッチがダブルデイと共著でユリと題した本を出版しました。
この本は、プハリッチ博士によるユリ・ゲラーに関する調査と予期されることなく生じた、地球外の知的生命体とのコミュニケーションのことが語られています。

そのコンタクトの様相は、最初は灰皿のような何らかの物体を空中浮揚させたり、博士のカセットテープレコーダーに記録が残るようにプハリッチ博士に合図を送るといった、極めて奇抜なものでした。
そのテープレコーダーのボタンは、何らかの見えない力によって押し下げられ、録音が開始されたのです。

再生してみると、そこには地球外のソースからのメッセージが残されていました。
ドンは、これらのメッセージと我々の調査との間に、多くの相関があると感じたのです。

この本は、その独自の正当性の故に興味深いものです。
しかし、この本が特に興味深いのは、リアルライフジャーナルに掲載されているプハリッチ博士のユリとの調査での色々な特徴と、我々の本での虚構と思われる色々な特徴との、信じられないほどの数の明白でそう信じざるを得ない類似性があるからです。

私達はアンドリアに会う為に、彼に電話した後にニューヨークに行き、彼との長い研究を始め、研究ノートを比較しました。

愛想のよい私達のホストが、彼の家の縁側に現れて挨拶した時、私は立ち止まり、家を見てあっけにとられました。
彼がニューヨーク市北部に所有して住んでいた家でさえ、我々の本の中で彼の架空の相手が所有していた家とそっくりだったのです。

あまりにも似かよっていた為、私は質問することを余儀なくされ、「アンドリア、貴方のシャクヤクはどうされたのですか? 私が貴方の家を書いた時、私は敷地内の道路がシャクヤクの茂みで囲まれていたのを見ていたのです。」と尋ねたのです。
プハリッチは、「おお、これですか? 私は三年前にそれらを切り詰めてしまいましたよ。」と笑っていました。

1976年において私達は、所謂(いわゆる)UFOコンタクト現象に関連した、広範囲にわたる超常現象の研究へと向かって行こうと決意しました。
この現象は、単純ではありません。

むしろ、それは、いくつかの異なった分野の研究分野を扱っているという、公平で包括的な理解と自覚を求められるものでした。
ラーの案件は、地球外生命体であると主張する存在との私達の継続的な研究の直接的な結果であり、それは、この本を理解する上で最も助けになる”考え方”に読者が導かれるよう、この本で前面に押し出そうとしているいくつかのコンセプトを、再検討することは適切なことでした。

UFO現象に関して最初に言うべきことは、それは極めて奇妙なものだということです。
真面目な研究者は、資料を読めば読むほど、フィールド調査をよりたくさんこなすようになり、UFO現象というものを思慮深く”地に着いた”方法で語ることが難しいと感じるようになるのです。
全国的な世論調査では、半数以上の人々が、UFOは本当に存在していて、テレビの連続番組や動画が、この話題に関して広く興味を抱いていることを示しています。

未だに、この現象を完全に理解できるかのように振舞っている、少数の研究者がいます。
J.アレン・ハイネク博士は、この調査の質が、この現象が高度に奇妙である”要因だと主張していました。
そして、彼は、この高度な奇妙さの程度を、この案件の妥当性の可能性と関連づけたのです。

UFOを見た人々の何人かは、UFOとの遭遇の後で説明できないある時間期間を経験しています。
UFOを見て、それから彼、或いは彼女は日々のルーティンが続いています。

ある時点で、彼らは説明することのできないある期間の時間の喪失があることに気づきます。
このことを経験した人々の多くは、目の痛みや結膜炎やある種の皮膚の問題を報告しています。
極端なケースでは、UFOを見て時間を失ったある人物は、心理学者や精神科医のカウンセリングを受ける必要が認められるほど人格が変わってしまいました。

R.レオ・スプリンクル博士はワイオミング大学の心理学の教授なのですが、彼はこのタイプの経験をした人々と”接近遭遇”という別のタイプの経験をした人々の為に、年一回のミーティングを行っています。
それは、非常に有名なUFOとのコンタクト事件の一つの当事者であるベティ、及びバーニーのヒル夫妻が調査された精神科医によるセラピーでのことでした。

ヒル夫妻はUFOを見て、ある期間の時間の記憶を失いました。
しかし、努力の末に、これらの出来事のことを自分達の精神から日常生活に差し支えない程度に取り除いたのです。

とはいえ、両者とも数か月経過すると、悪夢に魘(うな)されるようになり、不安の襲われるようになり始めたのです。
彼らが助けを求めに行った精神科医は、しばしば退行催眠をセラピーに使っていました。

彼は夫妻に別々に退行催眠を施し、驚くべきことに気づいたのです。
彼らの苦痛の根源へ戻るように頼んだ時、ヒル夫妻の両方ともUFOに乗せられて、UFOが飛行している間医療的な検査を受け、自分達の車へと戻されたことを話したのです。

【 一なるものの法則その5 】

ドンと私は、一年を通じて、たくさんの興味深い事案を調査しました。
しかし、一つを記述すると、また新たな不思議な事案が現れるといった有様だったと言っていいでしょう。
そして、それは、大抵の場合、ハイネク博士が言う”第三種接近遭遇”と関連していました。

1977年の1月、私達が目撃証人のUFO目撃談を聞いてから18時間か、それくらいの時間が経った後のことでした。
私達は、私達の友人の一人から呼び出しを受けました。
その友人とは、催眠術師のローレンス・アリソンのことです。

ローレンスは、UFOの目撃者の母にコンタクトを受けていたのです。
彼女は、異常なほどに彼女の息子を心配していたのです。

私達は、19歳で高校を卒業した後に、トラックの運転手となった証人とアポイントメントを取りました。

彼は、長さ40フィート高さ10フィート(訳注:長さ12メートル高さ3メートル)の宇宙船を目撃していました。
色は、夕陽のようだったとのことです。
およそ100から150フィート(訳注:30.5から45.7メートル)のかなり低空を飛行していたそうです。

その宇宙船は非常に強く輝いていた為、彼は目を痛めたそうです。
その上、彼は、そこから目をそらすことができなかったそうです。

彼は大層怖くなり、車を運転している時の記憶を失ったそうです。
彼がUFOの真下にいた時、UFOは突然スピードを上げ消えたそうです。

彼が家に戻ると、彼の母は彼の目が充血していたので心配しました。
彼は、彼が失った時間帯を正確に指摘することができました。
何故なら、彼は出発する時はちょうどテレビ番組が終わる時間で、彼はまた、彼が家に到着した時間も覚えていたからです。

彼は、自分の人生の38分間を失っていたのです。
その若者は、彼の失われた時間を”発見”する為に退行催眠を試みることを望みました。

私達は、これに同意しました。
そして、かなり長い催眠導入の後、適度な集中状態に達しました。
そして、その証人は、彼がUFOの真下にいた時の時点に戻ったのです。

突然、彼は、宇宙船の中の円形の部屋の中にいました。
その部屋の天井の高さは、宇宙船を外側から見ていた時に見えていた高さの少なくとも二倍はありました。

彼は、三体の物体を見ていました。
何(いず)れも、人間には見えませんでした。

一体は、黒色でした。
一体は、赤色でした。
そして、もう一体は白色でした。

どれも、機械のように見えました。
どれもが少年に話しかけませんでしたが、各々の存在は個性を持っているようでした。

彼は、ある種の身体検査に耐えなければなりませんでした。
検査が終わると、それらの機械は一体に合体して消えました。

その宇宙船は、短い間、跳ねて揺れていました。
そして、その後、その証人は車に戻っていました。

もし、貴方がこのケースの全説明を読みたいのであれば、アプロ報告、空飛ぶ円盤レビュー、国際UFO報告、そして、Mufon UFOニュースとしてそれは出版されています。
接近遭遇での最もありふれた要素として、私達が調査した証人達が表面上は異星人達が全く話すことなく、考えたり、感じたりしていると理解しているという点があります。

接近遭遇体験が長ければ、テレパシーでのコミュニケーションも長くなりました。
たくさんの興味深い調査がありますが、良好なテレパシーによるコミュニケーションがあったことを明白に証明する研究はありません。
結果として、テレパシーに関する研究フィールドは、まだまだ超能力の研究の周縁に留まっています。

とはいえ、電話がなることを予(あらかじ)め知っていたり、誰かが話す前に話そうとしている内容が分かったりといったことは、少なくとも、広い意味でのテレパシーを経験している例と言えます。
ドンは、彼とユリゲラーとの間のテレパシー実験が、総体としては成功したと語っています。
とはいえ、彼らは厳格な科学的コントロールの下で計画的に実験を行わなかったので、彼らは正統的な報告書として、それを成果に加えることができませんでした。

実のところ、私達は厳密な実験の制御は、このタイプの実験の成果を減ずる効果があるという意見を抱いています。
L/Lリサーチは、1980年からロッククリークリサーチの補助金を得て実験室を建造し、今日まで、私達の本を読んだことのある方なら誰でも参加できる週一回のミーティングを開催しています。

私達は未だに、”地球外生命体からのテレパシーによるコミュニケーション”という言葉の前に、”と言われている”という言葉を挿入しがちです。
何故なら、私達はこの基本的なコンセプトを証明する手立てがないことを、良く知っているからです。

とはいえ、この現象は紛れもなく存在します。
私達のファイルの中の数百万の言葉と、他のグループのファイルの中の夥(おびただ)しい数の言葉による記録が、この事実を証明しています。

超常現象の研究では、時折フラストレーション以上のものがあるにも関わらず、UFO現象に関する真摯な研究は、関連する現象の研究において鉄メンタルの保持者として、根気強さが求められます。

ラーが議論する物理学は、現実の真の性質と関係があります。
心の、特に、意志の機能として、遠隔的な作用の可能性を仮定します。

ユリゲラーは、世界中のいくつかの場所でテストされています。
その中には、スタンフォード研究所も含まれます。
そして、これらのテスト結果に関する印象深い出版物が存在します。
それらは有名なゲラ-論文、そして、スプーン曲げ現象の派生物としてのアイスランド論文です。

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